ルワンダってどんな国?

・国土は四国の約1.5倍の小さな国
・東アフリカにある内陸国
・平均標高1,600m、年間平均気温は25℃
・人口はおよそ1,260万人
・公用語はキニアルワンダ語、英語など
・9割以上がキリスト教(5割カトリック)
・ウガンダ、タンザニア、ブルンジ、コンゴ民主共和国と国境を接している

観光では主になにが有名?

マウンテンゴリラ…現在、世界中で約700頭ほどしか生息していないと言われる絶滅危惧種のマウンテンゴリラ。ルワンダや、ルワンダと国境を接するウガンダとコンゴ民主共和国の森(ルワンダ北部)に生息するが、ルワンダでは特に環境保護が徹底された状況で安全に観察することができる
火山国立公園………ルワンダ北西部のビルンガ山地に位置する自然保護区であり、ゴールデンモンキーや豊かな生態系を楽しめる場所として知られる。マウンテンゴリラのトレッキングが最大の目玉。公園内には活火山と休火山の両方がそびえ立ち、カリシンビ山(4,507m)が最も高い山である。
アカゲラ国立公園…ルワンダ東部に位置するサファリ。他国の有名なサファリに比べると規模は小さいが、ゾウやキリンといった定番の野生動物はもちろん、美しい鳥も見ることができる。また、南部にあるニュングウエ森林国立公園(世界遺産)ではトレッキングしながら野生動物を観察できる。
キガリ虐殺記念館…1994年に起こったルワンダ虐殺について学ぶことができる博物館。共同墓地があり、犠牲者25万人もの遺体が埋葬されている。ほかにも、ムランビニャマタなど世界遺産として登録されている虐殺記念館も複数ある。
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どんな特徴をもってるの?

美しい自然環境……ルワンダは「千の丘の国」として知られ、丘陵地帯が広がる美しい段々畑の風景が印象的。国土の大部分は海抜1,000m以上の高地であり、火山や湖、熱帯雨林などが見らる。特に、ビルンガ山地は世界的に有名で、絶滅危惧種であるマウンテンゴリラの生息地として有名。
経済の主柱は農業…人口の7〜8割が農業に従事し、食糧自給を目的とした作物が多く栽培されている。コーヒーと茶が輸出用の主要な農産物で、コーヒーは高品質なアラビカ種として国際的に評価されている。バナナ、キャッサバ、サツマイモ、トウモロコシ、豆類が国内の主要な作物。
社会と文化…………主要な民族グループはフツ族とツチ族(ジェノサイド以降は民族で分類するのはタブー)。公用語にはキニアルワンダ語、英語、フランス語があり、英語教育に力を入れている。伝統的な舞踊や音楽も豊富にあり、フェスティバルや式典、交流の場で見ることができる。
豊かな文化的遺産…編み物や陶芸、ビーズ細工などが有名で、地域社会にとって重要な収入源となっている。特にアガセチェというルワンダの伝統的な編み込みバスケットは装飾やお土産としても人気。もともとは日常生活の中で食べ物を保管したり、物を運んだりするときに使われていた。

ルワンダの国章…国章には、勤労による発展を象徴する緑の縄の輪の中にルワンダを象徴するモチーフが描かれている。太陽は【透明性と啓蒙】を、アワの穂とコーヒーの木は【豊かな農業生産】を、バスケットは【助け合い・結束・分かち合いのルワンダの文化】を、青い車輪は【科学・工業・産業の発展】を、左右の盾は【愛国心と国家主権の防衛】を象徴する。

経済状況や政治は安定してる?

 ルワンダ内戦以降の経済状況は比較的安定しており、2000年代には、毎年平均で7%以上の成長率を記録した。世界銀行によると、サブサハラアフリカ(北アフリカを除いた国)の中で最も急速に経済発展を遂げている。しかし、依然として農業に大きく依存しており、都市部と農村部の間の所得格差や地方における貧困問題が課題である。
 政治に関しては、1994年にルワンダ愛国戦線(RPF)の指導者であるポール・カガメが政権を握って以来、安定が保たれている。カガメ政権はルワンダの復興をリードし、インフラ整備、教育、医療、ICT分野の発展に重点を置いた政策を実施しているが、農村部は追いついていない状況。

ルワンダの深刻な問題

治安はどう?危なくない?

 ルワンダの治安は非常に良好。特に首都キガリは「アフリカで最も安全な都市の一つ」と評され、訪問者や現地住民にとっても安心して暮らすことができる環境が整っている。また、ルワンダ政府は治安維持に関して非常に厳格な政策を取っており、カガメ政権下では国家の安定が最優先事項。治安機関の強化や法の厳正な執行が進められている。
 国内でのテロ活動や内戦のリスクは非常に低いが、一部、コンゴ民主共和国との国境地帯での武装勢力の活動には注意が必要。一般的にルワンダ国内においてテロのリスクは極めて低いとされている。

犯罪率…殺人率は約 1.3人/10万人(世界平均は約 6.1人/10万人)。暴力犯罪の発生率も非常に低く、観光客に対する犯罪も比較的少ない。2023年のデータによると、グローバル平和指数はアフリカ全体で第3位。ナイジェリアや南アフリカよりも安定している。
市民の安全意識…2021年の世論調査によると、ルワンダ国民の約 90% が治安に満足していると回答。またルワンダ国民の 約85% が警察を信頼していると回答している。

あやか

治安も気候もいいし、アフリカ初心者にはオススメの国!


ルワンダの歴史をざっくり紹介

15世紀頃 ルワンダ王国が成立

ルワンダの起源となるニギニャ王国(のちのルワンダ王国)が現在のルワンダの辺りに成立する。大きく分けて遊牧民族と農耕民族が暮らしており、互いの民族意識は希薄であった。

19世紀頃 中央集権的な政治体制へ

工芸を中心にさまざまな形の芸術やルワンダの文化が形成されはじめる。一方でツチやフツといった職業階級が生まれ、遊牧業が主な生業であるツチは王に仕える支配階級と見なされた。

1884年 欧米列強国による経済的搾取

欧州13ヵ国、米国、オスマン帝国の代表が召集され、アフリカの植民地所有における会議が開かれた。ルワンダはドイツ帝国の植民地となるが、この会議にアフリカ人は関与していない。

1919年 ドイツからベルギーの統治下へ

第一次世界大戦の結果、ドイツの敗北によりルワンダはベルギーの植民地となる。もともとツチとフツの間に大きな差別意識はなかったが、ツチを支配層とする間接支配体制となった。

やがてIDカードが導入され、ツチとフツの社会的階級が明確になる。

1959年 フツがツチに対抗、社会革命勃発

ツチが支配的になったことで不満を抱えていたフツが革命を起こす。ベルギーはフツを支持したため、ツチとベルギーの関係は悪化このとき、多くのツチが近隣諸国へ脱出した。

1962年 ベルギーがルワンダの独立を承認

新生ルワンダ初代大統領に就任したのはフツのグレゴワール・カイバンダ。以後、組織的な民族浄化と追放が繰り返され、数十年にわたって何十万人ものルワンダ難民が生まれる。

1990年 ルワンダ内戦の勃発と激化

ツチ難民によって結成されたルワンダ愛国戦線(RPF)が北のウガンダから侵攻し、内戦が勃発。1994年、当時の大統領の飛行機が撃墜されたことを発端にジェノサイドが始まった。

1995年以降 カガメ政権下における復興

国際社会からの支援を受けてインフラや教育、医療の整備が進む。ルワンダ愛国戦線(RPF)ポール・カガメ大統領のリーダーシップの下で、経済成長と政治的安定が促進されている。

 ルワンダの歴史は、❶植民地前のルワンダ王国時代(19世紀後半以前)、❷ドイツとベルギーの植民地時代(1890〜1923年)、❸フツ族がツチ族に対して暴動を起こした独立・内戦期(1959〜1990年)、❹ジェノサイド(1994年4月〜同年7月)、❺カガメ政権下で復興と発展が進む現代(1995年以降〜現在)と分けることができます。植民地前の時代は文字での記録がほとんどなく、詳しい歴史は分かりません。

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